2014年07月

秋の渡りが始まったのかな?

今日は朝から雑用、昼から、潮目がいいので干潟へ出かけました、昨日、キアシシギ・今日アオアシシギ・ソリハシシギを見ることができました。
 
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「アオサギ・コサギ・ダイサギ」
潮が引いているに合わせてダンスの真っ最中、でも、捕ったのは?
 
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「コサギ」
ふーさん、潮が引いていくと、子魚さん、跳ねるやろ、それで、踊ってるんや、でも私が勝利者や、口魚咥えてるやろ。
 
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「カワラヒワ」
ふーさん、熱いのに何し来たんや、南港野鳥園、トウネンさん、来たんか、
 
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「カワラヒワ」
ふーさん、トウネンさん此処にはまだいてへんよ、熱いのにご苦労さんやな。
 
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「チョウゲンボウ」
ふーさん、此処に3羽見たやろ、みんな、親兄弟や、
 
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「アオアシシギ」
ふーさん、先発隊や、様子見に来たわ、これから仲間沢山やってくるよ。
 
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「アオアシシギ」
仲間5羽確認してくれたか、先発隊の責任果たせたわ。ふーさんにも会えたしな。
 
 

今日の干潟は熱風が吹いた

今日の干潟は、熱風が、窓を開けると砂埃がたち、2時間いてるのがやっとの状態でした、熱中症を避け帰宅、
 
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「クロツラヘラサギ」
ふーさん、以前NHKBS放送で私のこと紹介してくれてたやろ、朝鮮半島から来たんやぜ、
 
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「クロツラヘラサギ」
ふーさん、こんなふうに飛んで来たんや、隣国や、近いぜ、
 
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「クロツラヘラサギ」
日本と韓国の橋渡しになる為にやって来たんや、歓迎してや。
 
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「四天王寺金堂」
1400年前、難波宮が首都として機能し、聖徳太子が四天王寺を建立した時代の大阪も、東アジアの玄関口として多くの 人々が交わったと思います、
 
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「四天王寺ワッソ」
四天王寺ワッソは百済・新羅・高句麗などの国々から舟だんじりに乗ってやって来た歴史上の人物と日本の偉人たちが交流する様子を雅やかに再現したお祭りです。
 
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「四天王寺五重塔」
ふーさん、ここからの夕陽が最高やっつたんや、古地図によるとこの時代、日本橋筋は大阪湾や、堺市の旧26号線は海や、
 
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「キアシシギ」
ふーさん、ベニアジサシの尾崎清明先生も、私のこと(キアシシギ)日本とオーストラリアを渡る代表種と紹介してくれてるな、その標識の付いた鳥は、オーストラリアで捕獲された後いったん繁殖地に行き、また戻って越冬し、日本を経由その距離なんと、3万2千キロメートルになるんや、すごいやろ。
 
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「クロツラヘラサギ」
ふーさん、なにを言いたいんや、判ってるよ、鳥に国境はない、みんな仲良くしてるよ自然を壊すと、人も滅びる、そんなこと言いたんやろ。

狭山藩陣屋跡・法雲寺

昨日に引き続き、カモの観察Aグループ(笠田池・船渡池・大鳥池・狭山池)に甲子園より大きな池があります、その中に、高木家の陣屋跡・来迎寺があり、狭山池に面した所に、狭山藩陣屋跡があり、西除川沿いに法雲寺があります。
 
 
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「狭山藩陣屋跡」 
元和2年(1616年)北条氏信によって築かれた。 狭山藩北条氏は、小田原北条氏康の五男北条氏規の嫡子北条氏盛を初代とする。(一万一千石の大名)
 
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狭山陣屋は狭山池の東方に築かれていた。狭山池に流れる東除川を境に北に上屋敷、南に下屋敷があった。
 
 
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「狭山藩」
早雲以来、関東に覇を振るい、戦国時代の具現者であった、後北条家五代も、秀吉の小田原征伐で、滅亡。。。するのだが、家系はなかなか途絶えないところが、面白いところ、対秀吉強硬派だった北条氏政、氏照の二人は切腹となったが、当主の氏直は家康の婿でもあり、氏政、氏照の弟、北条氏規は和平派であったことを酌量され、氏直、氏規は高野山に入る。その後、秀吉によって赦免され、氏直は1万石・氏規も別家として河内狭山に7千石を与えられる。氏直に実子がなく、氏規の子氏盛が宗家を継いで下野で4千石。実父氏規の死に際して、この遺領も継ぎ、合わせて1万1千石の河内狭山藩となり、途中1万石に減るが、維新まで北条家の藩として続く。
 
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「法雲寺山門」
法雲寺(ほううんじ、法雲禅寺 とも)は、大阪府堺市美原区今井にある黄檗宗仏教寺院。山号は大宝山。本尊は釈迦如来。河内西国霊場第6番札所。
 
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「法雲寺天王殿」
前身は、空海開基の神福山長安寺(ちょうあんじ)という名の真言宗の寺院であったが、元和6年(1620年)に、狭山池の堤防が決壊し、西除川の洪水により、寺地及び寺は流出した。その後寺号を大宝山法雲寺と改め、黄檗宗の寺となった。
 
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「法雲寺本堂」
慧極は、延宝5年(1677年)に禅堂を、延宝8年(1680年)に鐘楼を建立し、その後、30年をかけて大門、大方丈、開山堂、斎堂、天王殿、長生閣などの二十数棟を整備した。
 
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「法雲寺本堂」のハスの花
元禄10年(1697年)に、狭山藩の5代藩主北条氏朝は、慧極と師弟の約を結び、以後、北条家の菩提所となった。墓地の中央には、第11代藩主北条氏燕の墓がある。
 
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「法雲寺回廊」
ふーさんは、この小さい、短い回廊ではあるが、好きである。
 
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「法雲寺」
ハスの花も今が見ごろであるが、5月連休のころ「つつじ」が綺麗で沢山の人が参拝に来られます、
 
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「法雲寺」
つつじも有名ですが、この銀杏の木も年輪を感じますよ。(ハスの花・サルスベリ・銀杏の木)つつじの花の咲くころは私毎年ブログに載せてますよ。今日の池にはな~にもいてませんでした、
 
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「北池」
コサギさんだけが休んでいました、ツルシギ・ウズラシギ・今年も来てくれるかな、レンカクでもいいよ。
 
 

丹南藩陣屋跡・来迎寺

今日は、池めぐりいたしましたが、鳥さん居てません、我が家の近くの名所めぐりをいたしました。
 
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元和9(1623)年、高木正次が大坂城定番となり、河内丹南1万石を与えられ、陣屋を築きました。高木氏は織田氏の家臣でしたが、信長死後に家康に仕えました。
 
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「来迎寺山門」
高円宮紀久子殿下の三男高円宮憲仁親王の次女・典子さま(25歳)、5月27日
出雲大社の神職・千家国麿氏(40)と婚約会見をおこなった。’07年4月、学習院大学1年生だった典子さまが出雲大社を参拝したときに知り合った2人は、7年の歳月をかけて運命のゴールインへ。出雲大社関係者の談。
 
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「来迎寺本堂」
出雲大社の神職・千家国麿氏(40)「最近は、『バードウオッチングが好きで』と話していました。『僕が写した写真が(バードウオッチングの)雑誌の表紙になった』 趣味のバードウオッチングを通して、密かに愛を育んでいた2人。今秋の挙式後、典子さまは皇籍を離脱する。
 
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「来迎寺の梵鐘」
ふーさんは、28年前から、除夜の鐘108を聞きながら年を越しました。
 
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「高木 正次初代藩主より13代続き明治維新を」
高円宮紀久子殿下の父親が、高木 正得貴族院議員、子爵です。
 
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「丹南天満宮」
高木氏ゆかりの神社です。
 
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「丹南天満宮」
典子さまの曾祖父高木正得氏は旧河内丹南藩の最後の藩主高木正善の子として生まれる。東京帝国大学理学部動物学科を経て東京帝国大学大学院修了。昆虫学、寄生虫学を専攻。
 

サシバの里から、太平記物語

今日は昨日に引き続きサシバの里へ行きましたが、もう、お山に入ったのか、又また、この暑さを避けて仲間達のいる、北へ行ったかもしれません、でも、有意義な里山歩きができ、満足の一日でした。
 
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「サシバ」 在庫から
ふーさん、観察に来る言うてたから、今日も来たんか、来年のための調査や必ずやってくるからな、
 
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「赤阪城跡」
この案内看板読んでや、太平記物語や。
 
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「下赤阪の棚田」
城跡の上から撮りました、棚田百選に選ばれています。
 
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「下赤阪の棚田」
農作業に多くの人がきていました、この棚田を守る為、共同で作業しているそうです
 
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「下赤阪の棚田」
ふーさんは、一番最初の写真の所だけが棚田と思っていました、こんな、降りてきた下にも在るのは気づきませんでした、参考になりました。
 
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「ますの釣り場」
今日は日曜日、金剛山も人人・駐車場は車であふれていました。
 
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「千早城跡地へ」
NHK大河ドラマ(1991年)足利尊氏(真田広之)の時は、のぼりが沢山並んで、賑やかでした、(楠公誕生地・建水分神社も良いですよ)
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